犠牲者たち

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犠牲者たち

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ロングレッグスは、オレゴン州全土で38人を殺害し、11家族の人生を引き裂いた。犠牲者たちは皆善良な人々だった:誠実な父親たち、きちんとした母親たち、そして純真な幼い子どもたち。彼らは教会に通い、神を敬う、地域コミュニティーの立派な一員だった。このようなひどい運命には値しない人々だ。まずは彼らを称え、黙とうを捧げよう。


アップルホワイト家


オレゴン州ダマスカスに住むハーランドとパトリシアのアップルホワイト夫妻は、9歳の娘テレサと暮らす、典型的なアメリカ人家族だった。夫のハーランドは、チェズニー&サイフェルト会計事務所に所属する公認会計士で、妻で主婦のパトリシアとは、聖ボニフェス・ローマカトリック教会の復活祭礼拝で出会った。2人は1955年に結婚し、その後まもなく最初で唯一の子どもを授かる。幼いテレサは、周囲を明るくするような笑顔の持ち主で、蝶と毛虫に夢中でプリムローズ・レイン小学校に通っている。将来の夢は昆虫学者。しかし残念ながら、彼女にその機会が訪れることはなかった

1966年7月14日の夜、アップルホワイト一家はロードデンドロン通り3400番地の自宅で殺害された。当初、事件に疑わしい点は何もなかった。クラカマス郡保安官のロイ・ウィッカーは、ハーランドによる無理心中事件と断定した。しかしながら、友人、家族、同僚たちは、誰もハーランドがそんなことをするとは想像できなかった。皆、口をそろえて、彼は愛情深い夫、父親であり、安定と健全さの鏡のような人物だと言った。

ハーランドの妹、イヴァリーン・ダール夫人は「兄がやったと、一度も、一瞬たりとも信じたことはない」と述べた。

事件をさらに想像を絶するものにしたのは、その凄惨さである。パトリシアとテレサは、刃渡り8インチ(約20センチ)の肉切り包丁で刺殺されていた。検死官のヒューゴ・ポーティス医師によれば、「犯人はパトリシアの頸動脈を完全に切断し、それから胸部と腹部を20回以上刺した」という。幼い娘は殺される前に苦痛を与えられ、内臓は死後に取り出されていた。

ウィッカー保安官は、「私が目撃した中で最も陰惨な犯罪現場だった 」と公言している。さらに「犯人が誰であれ、非情な人物だ」と付け加えている。警察当局は、ハーランドの単独犯行であり、妻と娘を殺害したあと、持っていた12口径の散弾銃で自ら命を絶ったと結論づけている。




「ひとつだけ腑に落ちなかったのは手紙だ」とウィッカーは振り返った。

警察は、冷蔵庫に貼られた印が刻まれた手紙を発見した。それは奇妙でエキゾチックな記号の暗号で書かれていた。「手紙を解読できなかったのは確かだ」とウィッカーは記憶している。「筆跡はハーランドのものでも、他の誰のものでもなかった」 メッセージの中で、唯一暗号で書かれていなかったのは、一番下にあるきちんとした手書きの署名で、

ロングレッグス

手紙を解読できず苛立った警官たちは、手紙は重要ではないということにした。数年後、この事件がFBIによって再捜査されたとき、暗号メッセージが重要な証拠となることが判明した。




クローバー家

マーシャル・クローバーと妻のキャロルは、10歳の娘ミランダとオレゴン州エコーに住んでいた。彼らを知る周囲の人々によれば、幸せな家族だったという。1968年6月20日、その幸せは終わりを告げた。ワックスキャップ・ウェイにある彼らの白い板葺きの家は、いつも汚れひとつなくきれいに保たれていた。隣人たちは、キャロルを一流の主婦と呼んでいた。

「家は血まみれで、取り壊さざるを得ませんでした」と隣の家に住むマーリン・ブロッホは言った。「床も壁もシミが取れなかったのです」

ウマティラ郡保安官ジョン・スクワイアーズは、成功した旅行代理店経営者マーシャルによる無理心中事件と断定した。しかし数年後、スクワイアーズは、「納得できないところがあった」と認めている。「マーシャルを個人的に知っていたが、彼にあんなことができたとはどうしても思えなかった。あれほど残酷なやり方で」 犯行はアップルホワイト事件と同じような残虐さで行われたが、ひとつ加えられた要素がある。悪魔崇拝者を示す悪魔的なイメージである。

「あらゆるシンボルがあった」とスクワイアーズは言う。「血で書かれた五芒星に、獣の数字(666)。かなり悪魔的なものだった」 しかし、聖カシミール教会のメルヴィン・チャイルドレス神父は、マーシャルがいつも 「善良なカトリック信者であった」と断言した。マーシャルは教会の管理人を何年も務めていたという。この事件のすべてが当局を困惑させるものだった。

アップルホワイト事件と同じように、暗号文字で書かれた手紙が冷蔵庫に残されていた。手紙の最後にインクで下記の署名がされていた。

ロングレッグス

「アップルホワイト事件のことは知りませんでした。数年後にFBIが関与するまで、2つの事件を関連づける者はいなかったのです」



ペンダーガスト家

従業員のアーリーン・スタンハウスによれば、トーマス・ペンダーガストは「事件が起こる数日前から様子がおかしかった」と言う。「いらいらしていて、末娘が自分の娘ではない、というようなことをつぶやいていました」

食料雑貨店主のペンダーガストと妻のロレッタは、ロンダ(10)とルイーズ(9)という2人の女の子の両親だった。彼らは、オレゴン州シスターズのビーバートン通りにある白い2階建ての家に住んでいた。彼らを知る人々は全員、 「彼らは、“平穏で幸せな家族”」だったという。

そのため、1969年8月9日の夜、トーマスが大包丁で妻と娘たちの首を切断したことは衝撃だった。デシューツ郡のスコット・ワンプラー保安官は、その犯行現場を「ホラーショーだ。私が経験したなかで一番血みどろの現場だった」 遺体はダイニングルームの床に隣り合わせに並べられていた。死因はいずれも失血死だった。家族を殺した後トーマスはガレージに行き、レミントン1100型12口径の散弾銃で自分の頭を撃った。「事件そのものはかなり単純明快に思えた」ワンプラーは事件について語った。「唯一の例外は、あの忌々しいメモだ」

冷蔵庫でピンクの封筒に入った手紙が見つかった。暗号化されたアルファベットで書かれており、
メッセージの署名は...。

ロングレッグス

「他の手紙のことも知っていたら、何かがわかったかもしれない。もしかしたら奴を止めることができたかもしれない」 とワンプラーは残念そうに語った。だが彼らはトーマス・ペンダーガストによる無理心中事件と断定した。

クローバー家事件と同様、家の壁には五芒星が残されていた。「ああ、あれは奇妙な、悪魔的な混乱だった」 とワンプラーは痛ましい現場を回想していう。「度を越した大虐殺といい、悪魔的なものといい、憂慮すべき事件だった



ワームウッド家

1970年4月18日の夜、レスター・ワームウッドは弟のカーティスとその家族がオレゴン州ゲイロードのマリーゴールド・ドライブにある自宅で殺害されているのを発見したと、当局に通報した。マルトノマ郡廃棄物管理課の技術者カーティス(39)と、グロブナー病院の診療看護師ユージェニー(38)は結婚して15年だった。ふたりは、コーバリスのオレゴン州立大学の学部生だったときに出会い、大学時代の恋人で親友同士。卒業後すぐに結婚し、3人の娘をもうけた。ジュリア(14)、パトリシア(11)、シンシア(9)である。

ワームウッド家は 「近所の健全な一家」として記憶されていた。ウンプクア・リバー・バレー出身のカーティスは、カラポヤ山脈のハイキングが趣味で、ユージェニーは地元の動物愛護協会のボランティアとして知られていた。カーティスが肉切り包丁で妻と娘たちを殺すとは、誰も予想していなかった。家族を殺した後、カーティスは頭に一発撃って自殺した。遺体を発見したレスター・ワームウッドも6ヵ月後に自ら命を絶った。

「これまで自分たちが見たことのない事件を扱っていることは分かっていた」とクース郡警察のガース・フランクリン巡査部長は振り返る。フランクリンによれば、犠牲者は全員刺殺され、喉を「大きく切り裂かれていた」 殺害は「とりわけ野蛮な残酷さ」で行われた。刑事たちは、いったい誰がこれほどの仕打ちを犠牲者たちに与えたいと欲したのか、大いに困惑した。

家の壁は血で描かれた五芒星で覆われ、床には666の数字が描かれていた。悪魔的なつながりは明らかだった。

冷蔵庫のドアには暗号化された手紙が、虎のような形をしたプラスチックのマグネットで貼り付けられていた。手紙の署名は...

ロングレッグス

「あの暗号文を見て、ゾディアックのことを思い出した」とフランクリンは述べた。1960年代後半にカリフォルニア北部に出没したゾディアックキラーのことである。「しかし、それとはまったく異なっていた

「当時は、犯人が誰であれ誰かに家の中に入れてもらったのだと考えていた。そうでなければ、そこに住んでいた誰かが犯人だ」 ほどなく警察当局はカーティス・ワームウッドが自ら命を絶つ前に家族を殺害したと結論づけた。「カーティス以外の者がやったと考える理由はなかった。他に容疑者も共犯者もいなかった」

この付近で働いていた動物管理官のジャック・フィンプルは、シボレー・ノマドと思われる白いステーションワゴンをこの付近で見かけたことを覚えていた。「ここは閑静な住宅街です。よそ者は目立ちやすい



ヘッセ殺人事件

1971年3月12日の朝、オレゴン州オイスターヴィルにあるエルドリッチ・ヘッセ一家の白いダッチ・コロニアル住宅に警察が駆けつけた。前日にエルドリッチが職場に現れなかったためだ。到着した警官たちは「家から明らかな悪臭がする」ことに気づいた。

中に入ると、エルドリッチと妻のルベルタ、そして9歳の娘メアリー・キャスリーンの遺体が見つかった。一家の台所から持ち出されたギザギザの長いパン切りナイフで、それぞれ30回以上刺されていた。

航空管制官のエルドリッチは真面目な社員だった。3月11日に出勤せず、上司に欠勤を伝える電話もなかった。彼の家に電話しても一日中応答がなかった。警察が見つけたものは衝撃的だった

サニーリッジにあるラズル・ダズル・サロンの美容師、ルベルタはひどく殴られ、顔が認識できないほどだった。メアリー・キャスリーンの手足は切断されていた。2人の遺体は一家の地下室で、エルドリッチは主寝室でナイフで自らを刺した姿で発見された。法医学的検査の結果、彼は妻と子供の死から1時間以内に自殺したことがわかった。ペットのインコはケージの中で首を切断されていた

その後数週間、シウスロー・ロードの近隣住民は恐怖に駆られた。多くの人が自衛のための武器を準備し、なかには精神的な悪影響を受けた者もいた。長髪の背の高い男が近所をうろついているという情報や、悪魔崇拝のカルト集団が関与しているという噂が流れた。警察はこれらの噂やそのほかのいくつかの奇妙な説を即座に否定した。確かな手がかりがなかったためこの事件は無理心中事件と断定された。

エルドリッチ・ヘッセは突然の説明不能な激情に駆られて家族と自分自身を殺したと推定されている。明確な動機は解明されなかった。「なぜ彼がそんなことをしたのかわかりません」と隣の家に住むアール・ポメランツは言った。「まったく意味をなさないのです」。エルドリッチとその家族は、「善良なクリスチャンでした」と、悲しみの聖母カトリック教会のベネディクト・マッコマス神父は言う。「葬式には何百人もの弔問客がありましたが、なぜエルドリッチがこんな凶行に及んだのか誰も理解できませんでした」 マッコマスはオイスターヴィル・ガゼット紙にこう語っている。「これは悪魔の仕業かもしれない。私にはそれしか考えられません」

家の玄関のドアには、大きな逆三角形が直接木材に刻まれていた。裏口には獣の印-666-が刻まれていた。冷蔵庫にはピンクの封筒に入った暗号文が地元警察によって発見された。手紙の署名は...

ロングレッグス

また来週。悪魔の脅威を追う我々の調査は続く。



オングストローム家

ウォーレンとヴィヴィアン・オングストロームは結婚してほぼ10年。セーレム市裁判所の公証人であったウォーレンは、ウェスト・ステイトンのシェナニガンズ・レーンでボウリングをしているときにヴィヴィアンと出会った。2人はすぐに結婚し、エルクホーンに移り住んだ。夫妻は毎年春にはヤムヒル川での釣りを楽しんだ。一人娘のポリーは9歳で、ロニー・エラム小学校に通っており、無残に殺される少し前に今月の最優秀児童に選ばれていた。

娘は12インチ(約30センチ)の肉切り包丁で40回以上刺されていた。顔は死後に野菜ピーラーで削り落とされていた。ヴィヴィアン(34)は腹から骨切り包丁が突き出た状態で血の海の中で発見された。ウォーレン(38)はスクリュードライバーで両目をえぐり取った後、自分の手首を切っていた。

1972年11月17日未明、ベイロック通りのオングストローム家のドアをノックした巡回セールスマンからの通報を受けて、警官たちが駆けつけた。トラビス・ホプソン警部補は、「ウォーレン・オングストロームが犯人だとはまったく信じられなかった」と言っている。しかし、すべての証拠がそれを裏付けているため、事件は無理心中殺人と断定された。「誰か、あるいは何かが彼にそうさせたのだ。彼が自分の意志でやってはいない」 とホプソンは付け加えた。ウォーレンを知る者は皆、彼は普通の家庭人であったという。にもかかわらず、彼の家族に起こったことは、まったく普通ではなかった。


家の内壁は様々な逆三角形で飾られていた。枕元には、スコットランドの人類学者、サー・ジェイムズ・ジョージ・フレイザーの著書『金枝篇』が、187ページを開いた状態でベッドの枕元に置かれていた。冷蔵庫には、暗号メッセージが刻まれたバースデーカードがあった。カードへの署名は...

ロングレッグス

隣人たちが、事件の前の数日間、黄色い引っ越しのバンが通りを周回していたのを目撃している。「ある晩、『ジョニー・カーソン』が放送された後に見かけました」住民のアイダ・キャスは言う。「いったい誰が夜中に家具を動かすのかしら?」と思ったのを覚えていると。

今回の凶悪犯罪が本当にロングレッグス殺人事件のひとつであったとすれば、犯人はこの事件で6件目の殺人を犯したことになる。数年後、この事件が再捜査されたとき、FBIは、この犯行がロンレッグスにとって特別な意味をもっていた可能性があると指摘した。なぜなら「6は悪魔の数字だから



ウィアー家

ヘムロック警察は、1972年8月19日夜、明らかに無理心中とみられる4人の遺体が発見されたと発表した。ベックウィズ&ハロラン社のシステム管理者ジャスパー・ウィアー(36)は、妻エセル(32)と2人の娘たちヴェロニカとローズマリーを殺害した後、自ら命を絶った疑いが持たれている。

スワード・アンド・サンズ社でオフィス・コーディネーターとして働いていたエセルは、主寝室のバスルームで、ヴェロニカ(12)とローズマリー(9)の遺体は居間で発見された。娘たちはメイポーザー・ストリート・スクールの成績優秀な生徒だったという。親族によれば、ヴェロニカの将来の夢は宇宙飛行士で、ローズマリーは隣のワシントン州のケープ・ディサポイントメント灯台の灯台守になりたがっていたという。一家はハグ湖で水泳やその他のレクリエーションを楽しんでいた。

ヘムロック児童保護サービスは、娘たちが数日間学校を休んだため、ウィアー家を訪問するよう要請を受けた。彼らが警察当局に通報した。

物的証拠を収集した結果、ティラムック郡検視局はエセルと娘たちの死因は複数の刺し傷による大量失血であると断定した。法医学病理学者のドミニク・ウォルドロン博士は、「母親はちょうど66回刺されていた 」と述べた。

ヘムロック警察のコーディ・ハマン警部は、この殺人事件を 「地獄のようだ 」と表現した。彼は、この殺人は 「明らかに病んだいびつな精神の持ち主の仕業である 」と指摘した。オングストローム一家と同様に、ジャスパーのベッドサイドテーブルには『金枝篇』が、226ページをめくられた状態で見つかった。


グリマルディ・ウェイの白い2階建ての家は、以前と同じようにみられることは二度とないだろう。殺人事件が発覚した後、マウント・ゴルゴタの近隣は「動揺」していたという。近隣住民の多くは、数日前にウィアー家の前で老女を見たと証言している。また、ジャスパー・ウィアーは決してこんなことをするはずがないと言う人々もいた。隣人のミュリエル・フォガティは、「ジャスパーは暴力的な男ではありませんでした」「虐待の兆候を見たこともありません」と付け加えた。

ジャスパーは暴力的ではなかったかもしれないが、あの8月の夜は精神異常者のように振る舞った。彼の妻と娘たちは、あまりの残忍さに棺を閉じて埋葬された。ハマンはその殺人を 「儀式的」と表現した。

以前の殺人事件と同様、冷蔵庫には何者か(あるいは何か)のメモが発見された。署名は・・・

ロングレッグス

ハマンはこの手紙を「不気味」と評し、「暗号解読のために暗号の専門家にも連絡を取った」と主張した。ロングレッグス殺人事件はそれぞれ別の郡で起こったため、各当局間の連絡や協力はなく、数年後にFBIが事件を検証するまで「誰も関連性を見いだせなかった」



さらなる殺人が?

このあと、追跡は途絶えた。ロングレッグスは10年以上姿を消したようだ。殺人も、手紙も、狂った家族殺しも、10年以上もの長い間起きなかった。

当初は無関係の一連の無理心中事件であったが、現在では謎に包まれた異常な連続殺人犯の犯行である可能性が高まっている。次回の投稿では、ロングレッグスがまだ殺人を続けているのかどうかを明らかにする。



事件の進展

ロングレッグスを名乗る人物による暗号文によって結びつけられた8つの無理心中のような事件は、FBI捜査官の誰一人として見たことがなかった。セーレム犯罪捜査課のチェスター“チェット”・ヴァン・アダー特別捜査官は、「過去の事件をすべて調べ直さなければならなかった」と言った。ヴァン・アダーは、この仕事は特に大変だったと述べた。というのも、「関係した法執行官はほとんど引退しており、何人かはもう亡くなっていた」 1966年から1975年にかけての殺人事件の手口は、新しい事件とかなり似ていた。「謎でした」「どうやって犯行に及んだのか、みんな首をかしげていた」とヴァン・アダーは回想した。

「それでも、あの手紙は明らかに外部の加害者の関与を示していた。悪魔崇拝的な側面があることで、事件全体にさらに邪悪さが加わった」

1986年におこなわれたFBIによる法医学的分析は、事件現場に家族以外の指紋がないことを確認した。次に、筆跡の専門家はすべての手紙が同じ人物によって書かれたものであると断定した。同時にどの手紙も父親や家族の関係者が書いたものではないことを確認した。FBIはほどなく犠牲者家族の間に一切のつながりがないことを立証した。家族同士がいかなる形においても関係していないことを断定するために、すべての可能性を調べつくした。

「ロングレッグスと名乗る人物が相手だということはわかっていた。だが、それ以外のことはほとんどわかっていなかった」と、ヴァン・アダー。ロングレッグスと犯行を結びつける物的証拠はなく、ヴァン・アダーはこの事件と信頼できる手がかりの欠如に不満を表明した。「もし彼が残した手紙がなかったら、彼はほぼ、決してそこにいなかった」 FBI捜査官もお手上げ状態だった。

その時点で、ロングレッグスが再び殺人を始めるのは時間の問題だった



バニスター家

1987年10月17日の早朝、マルーア郡保安官事務所はクロウリーの町からの通報に応答した。そこでバニスター家の遺体、明らかに無理心中事件の被害者たち、を発見した。母親フランシスの遺体は、台所で丸頭ハンマーによって撲殺された状態で見つかった。娘のヴェロニカは寝室で発見され、やはりハンマーで殴られていた。父親のレジナルドはガレージで発見され、自分で撃った銃創で死亡していた。モスバーグの12口径散弾銃がそばにおかれていた。

亡くなった一家は “典型的なアメリカ人家族”と偲ばれた。クロウリー市の道路基準エンジニアであったレジナルドは、受勲歴のある元米海兵隊員だった。近所に住むアーノルド・グローテは、彼を“とても好感の持てる男”と評した。パクラ・インターナショナル・ホスピタリティのフードサービス・スペシャリストであるフランシスはオレゴン州ベンド出身。11歳のべロニカはフォルシダ小学校の人気者の6年生で、勉強にも熱心な、成長目覚ましい天才ピアノ少女だった。

故人たちは10月25日(日)、聖母訪問カトリック教会に埋葬され、グレゴリー・ダン神父が弔辞を述べた。葬儀には多数の弔問客が参列した。ボラン&リード葬儀社のマーティン・ヒープ葬儀ディレクターは、この葬儀を 「今まで見た中で最も感動的なものだった」と語った。

ダッシュウッドレーンの家は数日間、黄色いテープで封鎖されたままだった。マルーア郡保安官事務所のメンバーは、連邦捜査局が率いる対策本部に加わった。FBI捜査官は事件現場でピンクの封筒に入った手紙を発見したという。その手紙は暗号化されたアルファベットで書かれ、インクで署名されていた。

ロングレッグス

「この事件は手口が違いました」セーレム犯罪特別捜査課のチェスター・ヴァン・アダー特別捜査官は言う。「犯人がハンマーを使った最初の事件でした」法執行官たちは、ロングレッグスが殺人に復帰した後、そのやり方が大胆になり、異なるタイプの武器を殺しに使うようになったと推理した。



ガディス家

ハドナット社のコンプライアンス・オフィサー、エドガー・ガディスと裁判所速記官の妻ラモーナは、オレゴン州チェリーハイツに住んでいた。13歳の娘ヴァレリーはヘンリー・ハッグ中学校の生徒だった。1989年2月12日の夜、エドガーは肉切り包丁で家族を殺し、そのあと自殺したと言われている。

ヴァレリー・ガディスの頭部は身体から取り外されていた。母親のラモーナの腹部からはキッチンハサミが突き出ていた。「かなり奇異な光景で、これまで遭遇した中で最悪の犯罪現場のひとつだった

ガディス一家は翌日曜日、司教・殉教者聖アダルバート教会に埋葬された。礼拝はエロール・ガーヴァー司教が司式し、ションデル・ファミリー葬儀社が手配した。ガーヴァーは、この殺人事件は“大いなる悲劇”であり、一家の死は“地域社会にとって恐ろしい損失”と語った。

借りていたVHSビデオカセットを返しに、チャウンシー通りの家を訪れた隣人のリリー・ニーデンファーが、遺体を発見した。「ドアをノックしましたが、返事はありませんでした」「鍵がかかっていなかったのに気づいて、押し開けて中に入りました」 彼女が目にしたものは、控えめに言っても心をかき乱す不穏なものだった。「それ以来寝ていません」とニーデンファーは言った。彼女はすぐにワスコ郡保安官事務所に通報した。

保安官代理たちは冷蔵庫の上に手紙を見つけた。レベッカ・セイス保安官代理によれば、「見た瞬間、それが何であるかわかった」セイスが予想したように、その手紙には暗号化されたメッセージが書かれており、あの署名があった…

ロングレッグス

FBIの科学捜査専門家であるカール・マイア博士は、現場には家族以外の誰かと犯行を結びつける物的証拠はなかったと述べた。「これだけの量の血痕があれば、少なくとも靴跡が見つかると思うでしょう」 しかし、DNAの証拠も指紋も一切残されていなかった。「ロングレッグスが几帳面なのは知っていました。彼は家に入った形跡を残さなかった」検死後も、新たな手がかりは得られなかった。

ヴァン・アダーはガディス殺人事件の直後に引退し、後任のウィリアム・J・カーター特別捜査官に事件を引き継いだ。

「仕事で一つ後悔があるとすれば、あの忌々しいロングレッグスを捕まえられなかったことだ。彼は私がこれまで出会った中で最も病的で卑劣な殺人者だ」とアダーは語った。

アバドンヒルズ自警団のメンバーは、自分たちが確かな手がかりを掴んだと信じていた。住人の中に、ガディス家の向かいに茶色のフェイクウッドパネルのついた白いステーションワゴンがとめられているのを見たという人がいた。「シボレー・カプリスのように見えました。70年代初期のモデルです」とレン・マトゥゼックは言った。FBIはこの車についてコメントしていない。



ホーン家

マルトノマ郡保安官事務所によると、1992年11月14日、トラウトデールで一家4人の遺体が発見された。明らかな無理心中事件であった。

ブランフォード・コミュニティ・カレッジの創作文芸講師であるカーティス・ホーンは、採血専門看護師の妻テレサの首を切断し、娘のメアリー(12歳)とキャスリーン(9歳)を浴槽で溺死させたと言われている。彼は、ボイラー室で3人の遺体を奇妙な形に配置したあと、ガレージに向かい、そこでスミス&ウェッソン社のモデル686リボルバー銃で自分の頭を撃ち抜いた。



テレサの遺体のそばで8インチの牛刀が見つかった。FBIの臨床病理医グレース・ピトック博士は、「犯人は非常に強い力を使ったため、刃が柄から外れていた」と述べた。

叔父がローカル10ニュースのレポーター、ケン・ランドリューに語ったところによると、一家は死後4日経ってから発見された。ダイニングルームのテーブルの上に、包装途中のプレゼントが置かれていたことから、ホーン一家はメアリーの誕生日の準備をしていたようだ。

ホーン夫妻はホルブルック・ドライブの家に12年間住んでいた。隣人たちは2人のことを熱く語ってくれた。カーティスはティーボールのコーチをし、テレサは聖アガサで手作り菓子を売るバザーの担当をしていた。2人の娘たちはティリカム小学校の人気者だった。ロングレッグスの他の被害者たちと同じように、彼らも模範的な市民だった。

ホーン一家は、バルタザール・ソーン神父の司式により、聖アガサ・カトリック教会に埋葬された。葬儀はグリーンゲーツ&ヤング葬儀社によって手配された。

いつものように、犯行現場からピンクの暗号手紙が発見され、ロングレッグスの署名があった。


読者の皆さんはどう思われるだろうか? なぜこれほど長い活動休止の後に、ロングレッグスは戻ってくることにしたのか?私なりの仮説はありますが、このウェブログを読んだ皆さんからの質問を歓迎します。info@the-birthday-murders.net までメールを送ってください。
次回の更新に、あなたの質問、意見、そしてヒントを掲載するかもしれません。

70年代にヘッセ殺人事件現場の近くで目撃された男の特徴と一致する、奇妙な人物のCCTV映像を送ってくれたオイスタービルのジャクソン・スミスさん、ありがとう。ロングレッグスはまた昔の場所に戻ってきたのでしょうか?皆さんの意見を待っています!


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